下着を着けなかった江戸時代の女性。生理になったときの驚きの処理方法とは | 江戸ガイドより

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下着を着けなかった江戸時代の女性。生理になったときの驚きの処理方法とは





パンツがなかった江戸時代。数百年前の下着事情を振り返るともに、女性が生理になったときの処理方法もご紹介します。






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パンツを着用しない時代、女性の下着はどんなもの?



&amp;amp;amp;amp;amp;lt;img title="銀ブラをする昭和の女性" src="http://edo-g.com/blog/wp-content/uploads/2016/01/ginbura_m.jpg" alt="銀ブラをする昭和の女性" width="344" height="451" /&amp;amp;amp;amp;amp;gt;

1963年(昭和38)

昭和の女性が、洋装で銀ブラ。和装から洋装への大転換は日本文化にとって大事件でした。

さて江戸時代、男性の下着は安定のふんどしですね。女性たちは下着としてどのようなものを使用していたかといいますと、それがこれ。

&amp;amp;amp;amp;amp;lt;img title="『水鶏にだまされて』石川豊信 画" src="http://edo-g.com/blog/wp-content/uploads/2016/01/kuina_ni_damasarete_m.jpg" alt="『水鶏にだまされて』石川豊信 画" width="186" height="1200" /&amp;amp;amp;amp;amp;gt;

(『水鶏にだまされて』石川豊信 画)

「湯文字(ゆもじ)」と呼ばれる四角い布です。今でいう「腰巻(こしまき)」。ヒモがついており、巻きスカートのように腰に巻きつけて使用しました。

長さは膝より少し下くらいまで。うっかり裾がペラリと開くと陰部が見えてしまうので、そんなことがないよう下着の4ヵ所にはおもりが入っていたとか。

素材は木綿で、色は白もしくは緋色。年配女性は浅黄(あさぎ)色が多かったそうです。

さらに、湯文字の上に「蹴出(けだし)」というものを着用しました。「裾よけ」ともいいます。これは今でいう「ペチコート」で、歩く際に湯文字がチラ見えするのを防いだり、着物の裾さばきをよくするために使用されました。

長さは湯文字より長く、足首までありました。湯文字と異なり蹴出は「見せ下着」、むしろ見られることを意識した下着のため華やかな柄の布が使われ、女性の足元をより色っぽく見せるのに一役買っていました。

&amp;amp;amp;amp;amp;lt;img title="『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画" src="http://edo-g.com/blog/wp-content/uploads/2016/01/ukiyome_isho_zue_m.jpg" alt="『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画" width="500" height="730" /&amp;amp;amp;amp;amp;gt;

(『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画)

美しい芸者の足元を見ると緋色の蹴出がチラ見え。足の白さと赤い下着の組み合わせの色っぽさ。

ちなみに農村部などでは湯文字を使用することもなく完全に「ノー下着」だったそうです。ですので、作業中に「よっこいしょ」と腰をかがめたりすると陰部が丸見えになる、というのは、農村によくあるのどかな風景でした。

 

江戸時代からナプキン派、タンポン派にわかれていた!?


パンツを着用しなかった時代。ふと頭に浮かぶ疑問は「江戸時代の女性たちは、生理のときどのように処理していたのか?」。

現代にあるナプキンやタンポンといった便利な生理用品。ナプキンの原型ともいえる「アンネナプキン」が発売されたのは、わずか50年前、昭和38年(1961年)のことでした。お年寄りが生理のことを「アンネの日」というのはこれに由来しています。

&amp;amp;amp;amp;amp;lt;img title="「アンネナプキン」発売の広告" src="http://edo-g.com/blog/wp-content/uploads/2016/01/annelies_-napkin_m.jpg" alt="「アンネナプキン」発売の広告" width="499" height="688" /&amp;amp;amp;amp;amp;gt;


「アンネナプキン」発売の広告。キャッチフレーズ「40年間お待たせしました!」は、アメリカで使い捨てナプキンが発売されてそれに遅れること40年にしてついに発売、ということを意味しています。

さて、ナプキンなどがない江戸時代、女性は生理になると前垂れのあるふんどし状の布で押さえていたそうです。これは見た目が馬の顔に似ていることから「お馬」とも呼ばれていました。

この「お馬」のなかに再生紙やボロ布を折りたたんだものを入れ、陰部にあてがってナプキンのようにして使用しました。布は洗って何度も使ったとか。

また、再生紙や布を丸めて膣に詰め込んだりすることもあったそうです。今でいうタンポンみたいな感じですね。

再生紙や布を使うのは都市部のこと。農村部では綿など柔らかな植物を陰部にあてがったり、膣に詰め込んだりしていたといわれています。また、生理期間中は血による“穢れ(けがれ)”を忌み、家族と接しないよう「月経小屋」と呼ばれる場所で生活したとか。

ちなみに、これは確認しようがないので定かではありませんが、一説には、江戸時代の女性たちは現代女性に比べインナーマッスルが発達していたため、経血を膣内にためておいて用をたす際に排泄したとも。

今風にいうと「経血コントロール」で、そのため簡易な生理用品でも大丈夫だったとか。そもそも経血の量そのものが少なかったという説もあります(諸説あります)。

いかんせん生理に関する資料が少ないので確かなことはわかりませんが、現在のような生理用品がなくともなんとかなっていたことだけは確かです。